Dec 25, 2009

韓国生まれのオンラインゲームドラゴンネスト

ドラゴンネストDoragon Nest何だろうと思って、webで確認してみると、オンラインゲームだそうだ。オンラインゲームに不慣れな私は知りませんでしたが、ドラゴンネストは、韓国で開発され、日本と韓国で運営されており、人気だという。 3dグラフィックスを駆使したアクションアニメのストーリーも面白そうだ。公式サイトでは、かなりクールなキャラクターが紹介されている。
その間、コンピュータが壊れてしまいました。データのバックアップをしていたため、コンピュータを修理出さないでしまいました。メモリは、使用することがあるので分離しました。ハードディスクが破損しているため、起動しないことです。コンピュータの修理保証期間中にはしますが失効して購入するのが安く付きます。自分で組み立てられる場合、1万円でダンボール箱を作成することができます。便利なダンボールですね
 ◆高校の部
 ◇侵侮−−京都女子高3年・矢延紗季
 まず初めに、私は神を信じない。だからこそ神の存在に苦悩する主人公をある種の“異形”としてとらえ、読者という超越的立場を理解した上でページを捲っていた。それこそはじめのうちは。
 物語はまず十二歳の少年が蛙の四肢を潰すところから始まる。ただでさえ不気味な光景であるが、何よりぞっとするのは少年が冷徹な観察者に徹していることである。無痛症であり痛みを感じることができない彼は、痛みとは人間のみが保有する想像力であり、それを授からなかった自分は蛙と同等の価値しか無いのでは、と思い悩む。死とは何か、彼は牧師の子供という立場も踏まえ絶えず考えていた。終焉か、最大の不幸か、はたまた幸せか。理不尽な暴力によって死んだ蛙は神によって救われたのか。活動を止めた醜い死体も、尊敬する父が心酔している神も、少年に答えを与えてくれなかった。
 空想じみていると思った。この物語はミステリーに分類されている。物語に厳めしさを与える要素として狂気を孕む少年を選んだのならば些か悪趣味だとも感じた。しかし彼は教会を将来世襲する者として、ただ神の福音を求めているだけなのだ。少年を無邪気とはとても言いがたいが、嗜虐的な趣味があるわけでもなく、純粋さ故の凪いだ精神とともに神に通ずる道を探している。読み進めていくうちに、こちらが墨汁の中に沈められたような気分になっているにも関わらず少年は常に飄飄としていた。
 少年の他にもう一人、神の存在に疑問を抱く者がいた。彼の母親である。この女性も後に、彼に見下ろされる無数の死体の内の一つとなるのだが、私は彼女に最も感情移入することが出来た。神を信じて疑わない厳格な夫。彼女は一般的な家庭で育ったため信仰心もさほど持ちあわせておらず、牧師の妻という肩書きに憔悴しきっていた。真面目で自分に似た父と、母親になりきれない“女”のままの母を、少年はまた冷静に観察している。母親はヤクザに追われて礼拝に闖入してきた青年に心を動かされ、その青年とともに事故死するという感傷を誘う最後を迎える。本来なら私もおそらく涙したであろう場面だが、語り手である少年の醒めた言い回しに驚くばかりだった。
 それでも少年は起きる事件をただ見つめるのではなく、常に能動的だった。母親の死を悼まない父に問いかけ、神の導きを理解しようと努めた。結果、彼はさまざまな体験を経て死は救いだと解釈したのだろう。たまたま彼の周囲に不幸な人間が多かったからかもしれない。以後彼は殺人を繰り返す。
 異常である。神を信じる信じない以前に人を殺すことはいけないことだ。言葉にすることが馬鹿馬鹿しいほどの常識である。だが被害者たちは苦しんでいた。少年は父に瓜二つの、町では評判高い真面目な牧師となる。当然人々は救いを求めてやって来る。少年は死ぬこと、つまり神のもとへ行くことは救いだと考えている。だから人の死に痛みを覚えない。信じて死ぬことは救いだ、と堅く信じている者に道徳心や倫理学を説いても無駄だろう。現実世界においてもきっと私の言葉など届かない。
 何より皮肉なのは、物語に登場する人物達の中で、幸せに−−自分が望んだかたちで、という意味で−−死んだのは少年だけ、ということだ。殺された蛙から自殺をすすめられた信者まで、死にゆくことに充足感を覚えた者はきっといない。最後に少年は自分の子供を守るために少しだけ人間らしさを垣間見せるが、結局また人を殺している。警察に追われることを避け冬の山に登頂しそこで少年は神に近付く多幸感をまとって逝った。読了後の苦々しさは二度と忘れることは出来ない。
 物語の中で、見下ろす表現が多く使われている。蛙の死体、慕っていた青年、殴った恋人、炭のように焦げた母親、老いて死にゆく父。すべてのものを少年は見下ろしていた。私は紙の上で甲斐甲斐しく動く彼を、苦虫を噛みつぶしたような顔で見下ろしていただろう。ただ私は神ではなく、すべてのことを意のままに動かすことも、無論物語に干渉することすら出来ない。作者という、この世界の、この物語の創造主が造りだした奔流に押し流されるだけの存在だ。そこでふと怖くなった。被害者の悲痛な心情描写は緻密だった。だがいつしか見下ろす側の少年の視線と同一化し、人の死に痛みを覚えなくなった私がいた。物語に吸い込まれるとはこういうことか、と改めて思った。
 見下ろす人間は、観察者は、常に危うい。心を手放さずすべてを見下ろせる存在は神だけなのだろうか。本を閉じた時、どこからかあるはずもない視線を感じた気がして、私は思わず溜め息を漏らした。(おわり)

2月27日朝刊

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